【本】わかりあえないことから - コミュニケーション能力とは何か(前編)
こんにちは。権藤優希です。
今回紹介する本は、平田オリザ(ひらた おりざ)さん著書、
“わかりあえないことから - コミュニケーション能力とは何か”
です。
戯曲『東京ノート』、小説『幕が上がる』など数々の受賞作品を生み出された劇作家・演出家であり、複数の大学で教授を務められます。
国際基督教大学在学中に劇団「青年団」を結成され、現在に至るまで国内・海外で多数の公演実績をお持ちです。
本書は2012年の発行以来、14万部の売上を誇るロングセラーです。
俗に言う「コミュニケーション能力」とはいったい何なのか。
演劇や教育に長く携わり、現代日本語に造詣が深い著者の視点から論じられています。
相反する2つの能力
著者は、日本企業が求めるコミュニケーション能力には、次の2つがあると主張されています。
(1)
異なる文化や価値観を持った相手に対して、きちんと自分の主張を伝えつつ、相手の背景を理解して、お互いの妥協点を導き出せる能力(異文化理解能力)。
(2)
「上司の意図を察する」「反対意見は言わない」「輪を乱さない」という、従来の日本社会における「空気を読む」能力。
きちんと自分の意見や考えを表明できる人材を求めている反面、日本の文化や教育方針は、周囲と足並みを合わせ、同調することに重きが置かれてきた。
求められている2つのコミュニケーション能力には相反する要素があると述べています。
前提は「わかりあえない」からスタート
2つの能力に相反する点がある理由は、コミュニケーションの前提が違うから。
(2)のコミュニケーションは、お互いが「わかりあう」ことをゴールとします。
「察する」「空気を読む」「一致団結」などの言葉には、価値観をひとつに合わせるという方向性が含まれているといいます。
一方、(1)の異文化理解能力は、さまざまな人種や宗教が混在する海外諸国で多く見られる、「もともと価値観が違うのだからわかりあえない。でも共有できる部分を見つけていこう」という前提です。
心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、「いやいや人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」と考えるのか。
「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、(中略)心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いてはいないだろうか。(本書p208より)
異文化理解能力は、異国の人との交流に限らず、私たちの日常生活においてもコミュニケーションの摩擦を減らす可能性があるのではないのでしょうか。
著者は、「わかりあえない」ことから始めるコミュニケーションの大切さを、教育を通じて伝えていく必要性を説かれています。
異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。ただそれは、単に教え込めばいいということではなく、おそらく、そうした対話を繰り返すことで出会える喜びも、伝えていかなければならないだろう。(本書p105より)
相手の理解に努める
私は本書を読み、「わかりあえないことから」というタイトルに込められたコミュニケーションの意義を学び、視野を広げるきっかけとなりました。
わかりあう、わかりあえない、どちらが正しいとか間違っているとかではありません。
ただ、わかりあうことだけをゴールとしてしまうと、わかりあえないことを否定的にとらえてしまい、視野が狭くなる可能性を著者が指摘されているのには、ハッとさせられました。
価値観は人それぞれ。
だから、私はたくさんの人との出会いにおいても、まずは相手の理解に努めていこうとあらためて心に留めました。
最後に、私が尊敬する大嶋啓介さんの言葉を以下に引用して、前編を終えたいと思います。
深い井戸ほど湧き出る水は清い
「何度言ってもわかってくれない」「なかなかやる気になってくれない」そんな人ほど、井戸が深いだけ。信じてあきらめず掘り続けていけば、必ず清い水が湧き出てくる。
後編では、著者が述べるコミュニケーション能力を、別の観点から見ていきます。
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