エルトゥールル号遭難事件
こんにちは。権藤優希です。
今日は私の好きな話をひとつ紹介したいと思います。
トルコという国をご存知でしょうか。
行った事がある方もいると思います。行った事はなくても、知ってるよ、という人も多いと思います。
トルコは”超”親日国としても有名ですが、その理由は知っているでしょうか?
今回紹介するのはその理由に関する、「エルトゥールル号遭難事件」です。
1890年9月深夜、和歌山県串本町沖で、台風による暴風雨のため一隻の軍艦が座礁しました。
トルコ国籍のエルトゥールル号という船でした。(当時はオスマン帝国)
海難事故に気づいた沿岸部の村の人は、決死の救助に向かいます。軍艦が沈むほどの台風ですから、自分たちも相当危険だったと思います。
村人たちは、海から助けたトルコ人たちを、一生懸命介抱します。
台風で食料も少ない中、非常食用に育てていたニワトリもあげたそうです。
献身的な努力のおかげで、乗組員650名のうち、69名が助かりました。しかし581名の方が犠牲になりました。
助かった人たちは後日、日本の軍艦によりトルコへ無事に送り届けられました。
これがエルトゥールル号遭難事件です。
そして、この話には続きがあります。
エルトゥールル号の遭難事件から100年近く経った、1985年、イランとイラクが戦争をしていました。
そのとき、イラクのトップだったサダム・フセインは、あるとんでもない声明を出しました。
「今から48時間後に、イラン上空を飛行する全ての航空機を撃ち落とす。」
この攻撃対象には、民間機も含まれます。
当然、イラン国内はパニックになります。いよいよ国外に退避せねばならないと、テヘランの国際空港は多くの外国人で溢れかえったそうです。
各国の航空機は、自国民を乗せてテヘランをあとにします。
当時イランには、現地企業で働く方など、200名以上の日本人も滞在していました。
にもかかわらず、日本は法律の問題や自衛隊の活動制限などもあり、航空機の派遣は間に合いませんでした。
他の国の航空機に乗せてもらおうにも、それぞれが自国民を優先させるために乗る事もできません。
もう諦めるしかないか、というときに、見慣れない2機の航空機が現れます。トルコの飛行機でした。
サダム・フセインの示したタイムリミットも迫る中、テヘランに残されていた日本人はその2機のおかげで無事に避難する事が出来ました。
日本人はそのとき、誰一人としてなぜトルコの飛行機が自分たちを助けてくれたのかわかる人はいませんでした。
そして駐日トルコ大使に問い合わせると、思いもよらない返答がきます。
「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。」
「私たちは100年前のあの事件を、教科書で学びます。トルコ人は子供から大人まで全員があの事件を知っています。トルコ人はみんな、あのときの献身的な救助を感謝しています。今の日本人が知らないだけです。いつか恩返しをしたいと思っていました。それで、日本人が困っているので今回飛行機を飛ばしたのです。」
どうでしょうか。
私はこの事件のことも、イラン・イラク戦争での出来事の背景も、大人になるまで知りませんでした。
そしてこの話を知った時、心が震えました。
トルコの方々の義理堅さも、100年前の日本人の献身的な動きにも、です。
同じ日本人としても誇りに思います。
起業して、メンターの方から学んだ大事なことのひとつに義理人情があります。
世界共通、時代を超えて通用する事なんだと改めて思いました。
自分のことを顧みずに遭難した人を助けた当時の日本人のように、そして100年たってもそのことを恩に感じ続け、感謝を実行に移したトルコ人のように、生きていきたいなと思いました。